レタスやハクサイといった高原野菜で知られる長野県南牧村に、国内有数のホウレンソウ生産を誇る企業がある。社名は「アグレス」。英語の「アグレッシブ」をもじった。その名の通り、親子2代の果敢な取り組みで、創業17年にして年商4億円を達成し、なお成長中だ。
 八ケ岳の東麓、標高1300メートルに位置する野辺山高原。広大な畑に沿って車を走らせると、白いビニールハウスが見えてきた。中にいたのは長靴をはいて帽子をかぶった若者たち。フィリピンからの技能実習生で、今季最後のホウレンソウの収穫作業をしていた。
 一帯はアグレスが経営する農場だ。14ヘクタールの敷地に254棟のビニールハウスが並ぶ。
 冷涼な気候を生かし、冬野菜のホウレンソウを5月から11月にかけて栽培。西日本のスーパーや大手ピザチェーンに向けて、シーズン中は1日平均2トンを出荷する。加工品なども合わせると今年の売り上げは4億5千万円を見込む。社長の土屋さんは「法人として夏季の出荷量は日本一」と話す。
 JA長野八ケ岳野辺山支所によると、一帯のホウレンソウの年間出荷量は約370トン。ほとんどがアグレスの出荷だ。
 もともと、アワも育たないといわれたやせた土地。戦後に開拓がはじまり、高原野菜の産地に成長した。
 土屋さんの祖父は開拓第1世代。レタスやハクサイを栽培していた。だが、土屋さんの父が、59歳になった2006年にレタスもハクサイもやめるという大きな決断をする。
 「今、世の中が求めている野菜はホウレンソウだ」
 ホウレンソウは出荷時の包装などでレタスより生産コストがかさむ。それでも将来性を見こんで、あえて挑戦した。
 人手や資金を集めるために個人経営の「土屋農場」をアグレスとして株式会社化。約7千万円を借り入れて100棟のビニールハウスを建てた。周囲から変わり者にみられもしたが、立ち止まらなかった。
 肥料をやりすぎて葉が茶色く焼けてしまったり、雑草しか生えてこなかったり。失敗は多かった。1年目は赤字だったが、3年目から軌道に乗り始めた。
 その父は68歳で亡くなり、土屋さんは29歳で社長に就任。近隣の山梨県北杜市にビニールハウスを建て増すなどして、経営規模を拡大していった。季節雇用のパート従業員は100人ほどになる。
 正社員は13人。平均年齢は30歳と若い。加工品などを担当する福山さんは「大きな法人で農業に取り組みたい」と神戸市から移住した。フィリピンの技能実習生も15人いる。
 ホウレンソウ農場の仕事が減る12~2月にかけては、埼玉県上里町の上里産直出荷組合と連携。ハクサイやネギの収穫出荷作業を引き受けて、社員や実習生の雇用を安定させた。
 2年前からは、もう一つの収益の柱として冬野菜のブロッコリーの通年栽培に乗り出した。
 土屋さんは言う。「現状維持は衰退につながる。失敗があっても、まずはチャレンジしないと。守りに見られがちな農業だが、日本一アグレッシブな農家集団を目指す」