添加物や栄養価は気にしても、食べる行為そのものに思いを巡らす人は少ないだろう。そこを掘り下げて考えたのが、檜垣立哉・専修大教授の著書「食べることの哲学」だ。哲学を足がかりに食について思考を深めるこの本は注目を浴び、入試問題でも取り上げられた。2019年度の神戸大入試の国語で取り上げられたのは、絵本やアニメでおなじみのアンパンマンの考察。論考の意図を問う設問に檜垣さん自身はどう答えるか。解説してもらいながら、顔を食べさせる行為があらわにする不条理を考えた。

豚の丸焼きや焼き魚が食べられない理由

 この本では、レヴィ=ストロース、ピーター・シンガー、吉本隆明らの思想を援用しながら、食を哲学する。主要なテーマの一つが、わたしたちが激しい忌避感を持つ食人(カニバリズム)だ。多くの人に親しまれるアンパンマンを、檜垣さんはカニバリズムとの関連性からその存在を捉え直した。カニバリズムを語る授業で学生から質問を受け、思索を深めたという。
 戦時中、従軍で飢えを体験したやなせたかしさんが生んだアンパンマンは、ひもじい者たちに自分の顔を惜しげも無くちぎって食べさせる。檜垣さんはそれが、自分の肉を食べさせたり他人の肉を食べたりする食人より「さらに業の深さを感じさせる」と書いた。それはどういうことなのか、が入試問題の最初の論述の問いだった。
 檜垣さんの解答は「自分と同類のものの肉を食べることがそもそもカニバリズムの忌避に抵触するのに、とりわけ顔という『個人』の特性を示す器官が食べられるものになるということ」。豚の丸焼きが食べられない日本人、頭の付いた焼き魚が食べられない欧米人がいるように、顔を食べるのは相当な抵抗感がある。なのに、人格性を決定するその顔を食べさせるアンパンマンは「衝撃的だ」と言うのだ。
 本の中で檜垣さんは、食べる対象との距離感が哲学的に問われる別の例として、1990年代に大阪の小学校で子どもたちが豚を育てて食べることを目的にした「いのちの授業」を挙げた。児童はPちゃんと名付け可愛がった豚を自分たちでは殺せず、最後は食肉センターに送り出した。この顚末(てんまつ)は、当時の担任によって「豚のPちゃんと32人の小学生」という本に書かれ、妻夫木聡さん主演で映画化もされた。檜垣さんは「100匹の名も無い豚から1匹を選んで食べるのと、長く飼った豚を食べるのとでは反応はまるで違う。これは顔や名付けの問題が大きい」と分析する。

あの後も同じアンパンマンなのか?

 入試問題のアンパンマンに戻ると、顔が取り換え可能という独特なキャラクター設定もある。顔が損なわれるたび、ジャムおじさんに交換してもらい復活するのだ。入試ではその設定を踏まえ、「アンパンマンは個別的な存在でありながら、そうであるとはいい切れない」という記述の意味を尋ねた。檜垣さんのアンパンマンの議論は、臓器移植の話に広がっていきます。「ますますアンパンマン的状況が広まっている」ことで、人の思考はどう変わっていくのか。