ポルトガルの家庭料理を楽しめる東京・代々木公園の人気店「クリスチアノ」の佐藤さんは、中学生の時、料理人になろうと思い立ち、近くのすし店に修業を申し込みました。身近にある「料理」と言えば、海釣りが好きな父親が作った煮こごりや塩辛ぐらいでしたが、手に職をつけるには料理の道がいいと考えたからです。
 でも大将や両親に「高校に行ってから考えなさい」と反対されて断念。高校に通いながらファミリーレストランでアルバイトすることにしました。
 ハンバーグを焼くと「バイトながらうまい!」とほめられました。毎日のように料理するのは初めてのことでしたが、手先の器用さが生きたようでした。
 高校卒業後、調理の専門学校に通い、ホテルの厨房で働いてから、19歳でイタリアに渡りました。美術史の本や美術館が好きで、特にイタリア人画家の作品に関心を持ち、彼らが暮らした街に行きたいと思ったといいます。
 最初に住んだフィレンツェには街中に市場がたくさんあり、外食でも家庭でも新鮮な食材が楽しめました。チェーンのレストランはほぼなく、個人経営のお店ばかり。おいしいところをほめながら食べる市民たちを見て、「市民と料理人が近い」と感じました。
 何店かで修業を重ね、ミラノの有名店から声をかけられて働き始めた頃のことです。「コウジ、まかないを作って」と頼まれました。
 ボロネーゼを作ろうと思った佐藤さんはフライパンでひき肉をジュウジュウと焦げ目がつくくらいまで焼き始めました。これまでの経験から、肉の表面を焦げ目がつくぐらいに焼くとうまみが出ると知っていたからです。でも、それを見ていたボローニャ出身のスーシェフ(副料理長)は「こんなのボロネーゼと言わない」と不満そうです。他のイタリア人シェフも「絶対まずいよ」と軽口をたたきました。
 ところが、一口ほおばると口々に「これ、うまい」。スーシェフも「悪くない」とうなったそうです。佐藤さんは「初めて評価された思い出ですね。歴史や文化を知ったうえで、新しいことをやってみてもいいんだなと思えました」。